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スーパーの野菜はなぜまずいのか(1) [農業]

あらためまして自己紹介しますと、私は農家でもあります。
直売店にいて果物(主にナシですが)を売っていますと、お客さんから

「スーパーのは本当に美味しくないのよ」

という話を聞くことが結構あります。

率直な感想として「まあそりゃそうだよな」と思います。
直売店の収穫直後の商品と比べたら仕方ありません。
もちろん一概には言えませんが、ほぼ正しいでしょう。

そんなわけで今回より数何に分けてこの理由を追ってみたいと思います。


さてご存知の方も多いでしょうが、青果物は一般的に下図のようなルートで生活者の手に渡ります。

農産物販路.jpg

青・黄色矢印で示したように直売をおこなう販路も増えてはいますが、平成17年の段階では日本の青果物流通の65%以上は白・赤矢印の市場を経由した流通に支えられています(農水省「食料需給表」より)。

「生産者(農家など)」は「農協」に間に入ってもらい荷をまとめ、それらを市場に拠点を置く「卸売業者」に出荷します。
荷を受け取った卸売業者は、それらをセリや相対取引などで「仲卸業者」に売ります。
卸が扱う荷物はとても多く、スーパーや八百屋さんなど「小売業者」が小さな単位で買うのには適さないため、あいだに仲卸が入ってある程度荷を小分けしているのです。
また仲卸には品物の良し悪しの目利きができる職人肌のプロも多く、卸と小売の間のフィルター的役割を果たしていると言ってもいいでしょう。
そして小売業者が仲卸業者から荷を購入し、お店の店頭に並べられ、私たちが購入します。

これがよくある青果物の流通ルートです。

ただし、こうして多くの人の手を介していると時間がかかります。
まず農家が収穫後、出荷のため選別・梱包して1日。
翌日運送業者が集荷して市場まで運んで1日。
翌々日市場で取引が行われ、小売業者の手にやっと渡り、店先に陳列されます。

こう考えると生活者が手に入れられるのは、収穫してから2日経過した農作物。
ただこれはあくまで「最短で」ということ。
これからどれだけ小売店の棚に並んでいるかは知る由もありません。
小売の方々も商売ですから元を取るために何日かは置くでしょう。
ただそれは別に責められることではなく、仕方のないことです。

日数が経過しているものを食べたら、そりゃ鮮度が落ちていて当たり前。
農作物は収穫後も呼吸をして、からだを維持しているからです。

親株に付いていたときは、根や葉から養分が供給され生長していました。
しかし収穫後はそれはありません。
そういった状態になると青果物は用意できる養分を使って呼吸をします。
果実内などに貯蓄された成分を消費してからだを維持するのです。
この消費された成分は、私たちが食べるはずだったもの。

つまり、収穫されてから私たちの口に入るまでの時間が長ければ長いほど、青果物内の成分は失われていってしまうのです。
もちろんこの成分の中には私たちが「おいしい」と感じる糖分やアミノ酸とか、「瑞々しい」と感じる水分も含まれています。
また収穫物自身が出すエチレンなどの植物ホルモンの影響で、果肉は次第に柔らかくなり、歯ごたえのない食感になってしまうこともあります。

このような理由から、いわゆる「スーパーのは美味しくない」という現象が起きてしまうのです。

しかし、流通に時間がかかることだけがこの原因はありません。
実は「農家が美味しくないものを出している」という一面もあるからです。

これについてはまた後日書きたいと思います。


注)
ここに書かれたことが「全て」ではないことはあしからず
一般論の1つとしてご理解ください
また足りない部分は次回以降の説明で補足いたします

※この記事は私の仕事用のブログ「農業よもやまばなし」からの引用です
 試験的にこちらにも載せてみました(汗

連載も決まる [あいさつ]

ご無沙汰しております。
・・・と、書くたびこの調子なので申し訳ない限りなのですが。

ナシも忙しかったのですが、おかげさまで執筆活動の方も機動にのってまいりました。
11月から某フードビジネス団体のwebサイト上に取材記事が載ることになりました。
そちらのほうのメルマガも書かせていただきます。
あと同じく11月には本文とコラムを書いた実用書も発売に。

よしよし・・・わりと調子にも乗ってきたぞ(笑

また契約している企業からの依頼でブログを開設することになりました。
http://nashien.jugem.jp/
so-netブログは好きで楽しく書いているんですが、上記URLのブログのような仕事となるとどうも堅苦しい形に。

でもまずは受けた仕事をこなしていかねば・・・自ら情報を発することはできないのでしょう。
やはりまだ誰かの手を借りねば自分の想いは発信できません。

・・・と、まぁぼちぼちやってきます。
こちらもちょくちょく更新して、もう少し余裕もって仕事ができるようになるといいなぁ。
それは贅沢かな(汗

がんばるぞ!

デビュー決まる [あいさつ]

御無沙汰しております。
・・・ってもう誰も見てませんよね(汗

すっかり春めいたどころか初夏ですね。早いものです。
私はという暫らくブログも知恵袋も休み、黙々と農業と先述しました執筆(?)活動をしておりました。

で、ですね。
その執筆の方がこの度実を結ぶことになりまして。ええ。

・・・私の携わる本が今秋出版されるはこびとなりました。

もちろん著書を書けるほど大それたものではなく、ある実用書にライターとしてコラムを書かせてもらうような感じです。
しかも植物関連(笑
このブログとは毛色の違う内容の文書ですが、それなりに読んでいて楽しいものが書けそうです。

なんというか、物書きになりたかったという学生の頃断念した夢(?)がこんな形で副業としてかなうなんて。
何事も続けてみるものですね。
ちょっと間違えればただの諦めの悪いヤツなんですが。

ま、ここで浮かれず、しっかり踏ん張って今受注している仕事をやり遂げ、また次の仕事に繋げてゆけるよう努力します。
いずれは自分の本当に書きたいことが書けるように、そこまでこうなったらやってみる所存です。
めざせ「人類一人一鉢化計画」出版!(?

とりあえず報告まで。

yahoo知恵袋よりお越しの皆様へ2 [あいさつ]

なんだかリンクからこちらに来て頂く方もいるようで、ありがとうございます。

テーマに関係なく、どこでも適当にコメントしていただければ返答いたします。
遠慮なく適当に書いてください。
一応チェックはしています。

ご挨拶と連絡まで。


寒中見舞い申し上げます [あいさつ]

冬になり花自体を見る機会が少なくなったせいもあり、なかなか書くネタがない。
というか書こうとしていない。

仕事がそれなりに忙しいせいもあるのだが、最近別の執筆を始めたせいもある。
その息抜きにyahoo知恵袋に以前のように通い園芸相談したり人生相談したりしている。

今年は先述した「別の執筆」をちょっと軌道に載せたい。
今年の抱負の1つだ。
作家希望みたいな言い草だが、そんな大したものではないことだけは言っておこう。
あくまで自己満足として。
何か機会があればこちらでも載せてみたいものだが、園芸とは異なる趣旨だろうから微妙か。

話がそれたが、まぁきっと温かくなるにつれ美しい花が咲き、そうなると文章の泉が湧いてくるだろう。
そうなればまたブログをマイペースで更新していきたい。

恐らくもう呆れられているとは思うのだが、読んでくださる方、申し訳ありません。
まぁ元気でやっています。
nashien_hで検索するとヤフー知恵袋にいたりはします。見かけたら声でも掛けてください。

寒中見舞い申し上げます。
今年もよろしくお願いします。


どんな花を育てたいですか? -まずは形から- [あいさつ]

「あの~、ガーデニングとか始めたいんですけど、まずはどんな花を買ったらいいですか?」

園芸店勤務の頃、初心者のお客さんを接客することも多くあった。
そういったお客さんがまず店員に話しかけるのがこの言葉だ。

慣れたお客さんは大抵目的意識を持って園芸店に買い物に来る。
「日陰に強い花」「毎年咲く花」「寒さに強い花」「暑さに強い花」「カラフルな花」etc
こういった条件提示を頂ければ、従業員は自分の持つ引き出しの中から幾つか候補を出して商品をご案内できる。
しかし初心者で目的をはっきりと持たないお客さんの場合、こちらから詳しい目的を聞いても「よくわからない」に尽きてしまう。

従業員によっては「ああいうお客さんは困るよなぁ」と言い、面倒臭がる。
自分が買い物に来ていながら自分で何が欲しいかわからない。
確かに何だか妙な話にも聞こえる。

だが私は逆にそういう人こそお相手にし易かったし、話していて嬉しかった。
「お客様が育てたいと思った花を買えばいいんですよ。」
私はそんなふうによく言った。

これから園芸をしてみたいという、ふつふつと湧き始めた興味の感情を満たすのはどんな花か。
それは自分が実際目で見て、臭いを嗅いで、フィーリングで感じて「育てたいな」と思ったものではないだろうか。

店側とすれば確かに初心者が失敗しないような丈夫な花を紹介するのもセオリーだろう。
商売っ気を出せば一年草で直ぐ花が終わるものを紹介し、また買いに来させるという手もある。
でもそうやって店側が紹介した花を100%好きになれるだろうか?
「勧められたものの・・・何か違うんだよな」
そういったミスマッチもあって当然だろう。
だって自分の目的もはっきりせず人の言いなりになって買ったものだもの。
そのときその人はその花に情を持ち続けられるだろうか、変わらぬ愛を注げるだろうか。
やがて枯れても悲しむだろうか。従業員を恨みすらするのではないか。

私は「初心者だからこの植物はダメ」というのはないと思う。
「こんな花が育てたい!」
そんな「形」から入っていいと思う。

「形だけ」という言葉がある。中身が伴っていないという意味だ。
確かにそれは言葉どおりかもしれない。
でも「形」から入って、そこから中身が伴うこともあるのではないか。
「良いな」って思う形を成り立たせるため、「憧れる」形に近づくため努力するのではないか。
ちょっと自分に見合っていない素敵な女性と付き合うことになった。
でも見合うように努力するのって、その女性と付き合っていること自体より素敵なことじゃないだろうか。

「形から」大いに結構。
近所の植物愛好家が冷ややかな目で見てもいいじゃないか。
周りの目など気にしない方が良い。貴方が選んだ女性だけを見るべきだ。
まずは自分が好きな女性をたくさん愛して欲しい。

本やネットで調べて、水をやって、肥料をやって、植え替えて。
おや?様子がおかしい、虫が出た、黒い斑点もある!?
そうなったらまた調べて、対策を考えて。
そうやって自分が好きで選んで自分で育てた植物が大きくなって、それでたくさん花を咲かせたら最高に嬉しいことじゃないだろうか。

花を選ぶなら自分の好きな花を選んで欲しい。
自分の意思で選んで育てようとする思いを持つ。
それこそ栽培管理に一番必要で大切なものなのだから。
きっと貴方がそう思ったこと、努力したことは彼女に伝わるだろう。
そして彼女は「開花」という最高の感謝の笑みを貴方に返してくれるだろう。


※冬ですね。サザンカも咲きました。


喜怒哀楽 歳をとっても 変わらない -イチョウ- [あいさつ]

たまのプライベートネタというか、ちょっと先週末出かけた話を書いてみる。

密かに土日旅行に行ってきた。
梨農家や自営業の若社長さんたちと地元の仲間達10人ちょっとのバスツアーでの慰安旅行。
宿泊地は群馬県は伊香保。まあ結構有名な温泉地である。

私が泊まった夜は北部で初雪が降ったらしく、翌日昼食の折立ち寄った土産物屋に留まっていた水上方面から来たバスの上には雪が山盛りに載っていた。
奇しくも今年の「初雪見」である。

千葉県くらいだとあまり冬でも雪を見ない地域だからか、一緒に行った仲間達も目を真ん丸くして雪を見て騒いでいた。
面白いものだ。
みんな子供もいるような良い大人なのに雪を見てはしゃいでいる。

「三つ子の魂百まで」とか言うが、納得。
人間根底にある喜怒哀楽の感情は歳をとっても変わらないものなのだろう。
皆が笑顔で「喜」び、そして「楽」しんでいた。

昼食を終え、雪の積もったバスとも別れた私達は近くの「水沢観音」を訪れた。
坂東三十三観音札所の十六番であり、伊香保では有名な観光寺院だ。
まあ寺に関心のある人なんてあまりいるわけでもなく、ツアーの都合上何となく参拝するような・・・。
でもそこは皆大人しく観音様やらお堂やらに御参りをしてお茶を濁していた(観音様御免なさい)。
途中マスクをした風邪気味のYさんが調子が悪いとトイレに行ったが、後で追いつくということでひとまず別れて、
後の皆で列になって雑談をしながら参道を歩いていた。
と、突然強烈な異臭!

「うわ!なんだこりゃ!!」
皆同時にざわめき出す。

臭いの正体は直ぐわかった。足元の「ギンナン」だ。

ギンナンはイチョウの実で茶碗蒸しなどの具に使われたり、酒の肴としても人気がある。
無論それは調理したからであり、熟して落果した際のその果肉はもうとんでもない臭いを放つ。
それらを私たちは気付かず踏み潰していたのだ。

あえて言おう「ウ●コ」の臭いであると!

これまで幾つか植物の臭いに関する話を掲載してきたが、私が嗅いだことのあるなかでは最凶だ。
オミナエシやヘクソカズラもするのだが、それは「ほのか」。意識しなければ気にならない。
ギンナンのそれは違う。「敵意」だ。ギンナンの全ての生き物に対する憎しみすら感じる。

「に、逃げろ!」

気付いたときにはもう遅い。
イチョウの葉の中に隠れていたギンナンを踏んでいた私達にはもう逃れる術はない。
何故なら奴らはもう靴底の溝の中に侵入しているからだ。

どこまで行っても付いてくる!
逃げても逃げても振り切れない!!

何か大きな問題が起きた際、表面的な問題ばかりをいくら解決しても意味が無い。
それを根本的に解決しなければ何度でも繰り返されてしまうのだ。

私達は土の上で靴底を擦り、少しでもこびりついたギンナンの果肉を除こうとした。
何人もの大人が靴をゴシゴシ擦りつけている姿は他所様から見れば異様だったろう。
「そんなにこの土地に恨みでもあるんですか!?」とお坊さんに言われるくらい一心不乱に地面を踏みつけていた。

なんとか除けた感じになり、私達は胸を撫で下ろしバスに戻ることにした。
「とんだ災難だったね」
皆に笑顔が戻った。こういった話も後で笑い話になるだろう。
バス内でまたワイワイ話ながら出発を待った。

すると一人遅れてきたYさんがバスに戻ってきた。
「すいません遅くなって」

と、その直後強烈な異臭。
一同絶句。

そうYさんの鼻は詰まっていたのだった。

人間根底にある喜怒哀楽の感情は歳をとっても変わらないものなのだろう。
皆の顔が「怒」り、そして「哀」しんでいた。

バスは遅れを取り戻すため直ぐにドアを閉め出発した。
Yさんの足元から放たれる異臭を仲間に加えた楽しい旅がスタートした。

(例によってつづかない)


皇帝ダリア -上を向いて歩こう- [花]

ここ数日で一気に首都圏も寒くなった。
地に咲く花々ももう終わり。花を散らして葉を枯らし冬に備えて眠りかけている。
これで紅葉が終わってしまえば自然の色が乏しい冬になる。

木々や花々の色が減ると何処となく寂しい。
クリスマスイルミネーションで街自体は明るくなるものの、人口的な明るさからかこの物悲しさは拭えない。
あと年末という時期もこの感覚の呼び水になっているのかも。
あまり良い思い出が11・12月にはない。

苦しかったり悲しかったり、そんな辛い思い出ばかりをよく覚えているのは「人間の本能」と聞いたことがある。
いわゆる「マイナス」の記憶を刻み込むことで、それを再度味わうことのないように注意を喚起しているとか。
全くもって、ありがたいようでありがたくない話である。

そんなもんで自然と気が滅入る。
気が滅入るとうつむきがちになる。
うつむきがちになると目線が下がる。
目線が下がれば視野は狭まる。
典型的な悪循環の始まりだ。

春は良い。
下を向いても路傍の小花が慰めてくれる。頑張って働く小さな虫達が勇気をくれる。
温かい風が花や新緑の香りを運び、上を向こうと鼓舞してくれる。

でも冬は地面ばかり見ても全く良いことなんてない。
だからって気が滅入ったときなんかは頭を上げる気もしない。
頭を上げなきゃ前が見えない。
あのときもそうやって下を向いて道を歩いていた。

傷口に塩というか、そういうときはやっぱり悪いことが続くものだ。
「カー」とカラスの鳴き声。
「不吉な・・・」
普段は気にもかけないカラスの鳴き声が妙に響く。
そんな思いを抱いたほぼ同時に足元に落ちた白いフン。

「危なっ!」
第二派を恐れ後ろに身を翻し、鳴き声がしたであろう近くの電柱の上を「キッ」と睨む。
どうもカラスは去ったあとのようで、目線の先にはただ太い電線が何本も並んでいるだけだった。

すると視野の中の彩りに気付く。そのまま少し目線をずらすと大輪の花が咲いていた。

「皇帝ダリア」だ。
背丈は3m以上にもなり、その頂上付近に花を咲かせるキク科の宿根草だ。
春に地面から芽を出し、初冬にはこの大きさにまで育つ。
なるほど花は玉座から下々を見渡すようだ。
その威風堂々としたたたずまいから「皇帝」の名が付いたと言われる。

(ああ、そういえば11月末は皇帝ダリアの開花期だ・・・)
しばらく私はボーッとその大きな花に見とれてしまった。
(ああ、花なんてもう無いって思っていたけれど、あるところにはあるんだ)
他の時期なら決して目立つ色の花ではないが今は随分明るく見える。
いや違う。いつもはその身長に目が行っていたのだが彼女の花は事実美しいのだ。
目線を変えれば気付かぬものにも気付けるのだ。
そう彼女の薄青い花色を見ながら感慨にふけっていた。

そして気付く。

あ。いつの間にか上向いてる。

まったくカラスに感謝か皇帝ダリアに感謝だか・・・
でもまぁ、良かった。
やはり上を向いた方がこれから歩く道良いことがありそうである。

まだまだ人生も初冬に歩く道も捨てたもんじゃない。


バイオエタノールってどうなの? -万物の光と影- [農業]

明日から、
「貴方が普段食べている食事の何割かがなくなって、車の燃料になります」
と言われたらどう思うだろうか。

私は嫌だ。
だってお腹減るもん。そ~んなに豊かな食事はしてないって。

皆少なからずそんなふうに思うのではないか。
現実的には私たち飽食日本人はそりゃ2割くらいカットしても何とかなるのだろうが、でももっと貧しい国の人たちってこういった問題を突きつけられたらどうだろうか。
「車持ってねえよ。てかそんな金もないし。てかてか道路ないし。」みたいな。
そんな自分達にはメリットも無いことに食事を使われて・・・本当にお先真っ暗じゃないだろうか。
今回はそんな話。

「バイオエタノール」というものがある。

バイオエタノール
植物を原料とするエチルアルコール。輸送用燃料などに用いられる。バイオマス-エタノール。〔燃焼によって発生する二酸化炭素は原料の植物が光合成によって大気から吸収したもので,石油とは異なり大気中の二酸化炭素の総体量は変わらないとされる〕

                                          三省堂「大辞林第二版」より抜粋

お酒好きな人ならわかると思うのだが、ま、簡単に言うと本格焼酎みたいなもん。
米・麦・芋からお酒をつくりましたよ~、みたいな。
バイオエタノールは小麦、トウモロコシ、サトウキビとかを原料に発酵させてつくられた植物由来のアルコールのことである。
今これがガソリンの代替として注目されており、車社会となったこの世界で「地球に優しいエネルギー」として台頭しつつあるのだ。
なるほど化石燃料を用いた排気ガスを出すガソリンよりは二酸化炭素の増加という面で見るならば確かに「エコロジー」かもしれない。

で・も・
反面、このエネルギーを使うことでトウモロコシ・小麦の「食べるために使われていたぶん」は減ることになる。
そう、そこで冒頭で話をしたような事態が起こる。
もともとトウモロコシとかって「人間が食べるため」とか「家畜のエサにするため」につくられていた野菜。
それをここにきて「ガソリンの代わりに使いまーす」って言われたらどうなんでしょう。

アメリカは元々トウモロコシのつくりすぎ・余りすぎ問題があってバイオ燃料に注目したような背景があるので別にいいのだが、一方で元々食べるための野菜をつくっていた貧しい国々がここにきて急に「バイオエタノールのための野菜」をつくりはじめちゃった問題が生じている。

すると・・・あれ、食べ物が足りない。家畜のエサが足りない。
あれ、地球に優しい燃料がいっぱい出来始めたのに、何故だろう地球人のお腹はいっぱいにならないぞ??

何で農家が食べ物をつくるのを止めて燃料をつくるかといえば、それは普通に「食べ物」をつくるより「儲かる」から。

そりゃあ「儲かる」方に目を向けるのは、生産者として当然の理屈。
農家って別にボランティアじゃないし。ちゃんとしたビジネス。
植物を育てて地球の緑をいっぱいにするために仕事をしているわけじゃない。
生きるためにお金を稼ぐために植物をつくっているのだ。

でも何かおかしい話。
人間が生きる地球を守り、ひいては人間自体を守るため、エコロジーのために考え出されたバイオエタノールの利用なのに、ぐるりと回って人間を苦しめている。

エコって何だろう。地球に優しいってなんだろう。
私はエコの本質とは「今まで無駄になっていたものを再利用し、新たな代替手段として用いること」だと思うのだが。
今、「他の分野で重要な役割を果たしているものを無理矢理別の分野にひっぱってくること」じゃないと思うんだが。
エコロジーを唄いながら他のものに弊害を与えるって本当に地球に優しいのかなあ・・・。

エコロジーって言葉は清々しいけど、突き詰めちゃうと「人間が長く地球で暮らしたい」ってことだと思う。
だとするならば、一つの技術としてバイオエタノールは評価できるかもしれないが、今の段階では地球を救うための救世主のような手段では決してないように思う。

だいたいの物事には光の部分と影の部分がある。
でも得てして光というものはまぶしくて、影の部分を打ち消してしまいがちだ。
光の部分が強ければ強いほどその傾向は強い。

「良いところもある、でも悪いところもあるんだよ」

TVのニュースとかってそういう目線でいつも報道してほしい。
こんなブログなんかよりたくさんの人が見て、そしてそれを見て何か考えているんだからこそ、様々な見方で物事を取り扱ってほしい。
老若男女、「みんなが考えられる機会」を提供してほしい。

時には、あえて「影」を注目することで「光」の大切さ・ありがたみを皆がわかることだってあると思うから。

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関連リンク:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A4%A5%AA%A5%A8%A5%BF%A5%CE%A1%BC%A5%EB


ホトトギス -責任の所在- [花]

今でこそ気楽な自営業だが、やっぱり人と一緒に働くことは大変なものだ。
時に助けてもらえるが、時に足をひっぱられる。
でもこれはお互い様で半ば仕方ないこととも言える。
失敗するからこそ補い合うため他人と一緒に働くものだと思うのだが、これがなかなか難しい。

会社員時代、水やりのミスで「ホトトギス」を数十株枯らしてしまったことがあった。

ホトトギスは秋に咲く、質素だが美しい花。独特の花の形と模様が人気である。
ちなみに彼女のその名は、あの鳥の「ほととぎす」の模様から由来している。

枯らしたのは、お客さんの注文を受けて売場には出さず奥のバックヤードで取り置きしておいた株だった。
私は2日間会社を留守にしていたため後輩に管理を任せていたのだが、彼は水管理をミスしてしまったのようである。

まだ残暑厳しく、水やりが一日一回で済む時期ではまだない。
朝一度水やりをしたものの夕方の水やりを怠ってしまったようだ。
私は何とか新しいホトトギスを取り寄せることが出来、お客さんとのトラブルは起きなかったが、数十株の植物を管理ミスで失ったことで私と後輩は上司にこっぴどく怒られた。

私が後輩に言いたかったことも上司が言ってくれたことだし(要するに「暑い日の水やりは注意しなさい」ということ)、私から彼への注意は別にいいだろうと思っていた。
まあ今回の事件は元は私が受けた注文だし、後輩への指導ミスとも言える。いた仕方ない。

ただ後輩はどうも素直に反省していないようだった。
他の社員から聞いたのだが、怒られた後食堂で上司と私の悪口を言っていたそうである。

「なんでおれが怒られるんですか。あいつ(上司)おかしくないですか?」
「先輩の言うとおりにしただけですよ。2回とかわかりませんよ。」
「だいたいあの日はあいつ(上司)のせいで仕事詰まってたのに目ぇ行き届きませんよ」
と彼の言い分。

いやいや何というか感心した。
「自分のせい」って思わないのかな。
仮にも任された仕事。それを達成できずに私や上司に憤りを示す。
上の言うとおりにして、失敗したら「あの人のせいだ」と自分を擁護する。

気のせいか結構この手の思考回路を持っている人が多い気がする。
失敗を「上司のせい」「先輩のせい」にするのも含め、「部下のせい」「お客のせい」「恋人のせい」「政治のせい」「経済のせい」etcetc

火の無いところに煙は立たない。
責任の所在は幾らかは自分自身にもあるのではないだろうか。
ただ何でもかんでも自分の責任だと思って生きたら大変。そういう意味ではない。
反省すべき点は少なからずあるのではないだろうか、という話だ。

他人から言われた、だから自分のせいじゃない。これは絶対良くない。
他人から言われたことで失敗したとき・怒られたときでも、自分の頭で考え自分のが悪かった点を見出せる人が育っていく人間のように思う。
責任の全てを他の事象のせいにする人間の成長は、きっとこの先たかが知れたものになるだろう。

さて
それから数ヵ月後の話だが、その後輩が「彼女にふられたから」と私を飲みに誘ってきた。
話を聞くと、彼の話の内容はほぼその子の悪口。
最後に一言「なんでふられたんですかね?」

それは多分ホトトギスに聞けばわかるよ。
水やり一日2回やった?

・・・と私が言ったとか言わなかったとか。


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